なんと心臓が!!

9日に心臓カテーテル検査を受けました。

その心臓カテーテル検査とは、左手首の動脈と、右太ももの付け根の静脈からカテーテル(細い管)を入れて、心臓の血管の状況を検査するものです。

【参考】
心臓カテーテル検査:狭心症や心筋梗塞、心筋症、弁膜症などを診断


実際の検査は、こんな感じでした。
検査は、専用の検査室(手術室)で行われ、薄い検査着1枚で検査台の上に寝かされました。
カテーテルの挿入部位の部分麻酔で検査を行います。
この無防備な状態で、足の付け根に麻酔を打たれるのでちょっと怖い。
麻酔の針の痛みはあるが、それ以降は直ぐに麻酔が効くので痛みはない。
その都度、「今から麻酔です」「今からカテーテルを入れます」と実況中継してくれるのでその都度覚悟はできます(笑)
カテーテルを押し込まれるのは感覚でわかります。
痛くはないのですが、「ギシギシ」と押し込まれるのは気持ちのよいものではありません。
管を入れたら、血管を映し出すために、造影剤というものを入れます。
この造影剤を入れる瞬間、腕や胸がカァーと熱くなる。
なんか入ってます!って実感できます。
造影剤を入れて、X線で撮影するため、目の前に大きなX線の機械が迫る。ちょっと圧迫かなり。

1時間くらいで終わったのかな。
それほど長くは感じなかった。

果たして、その結果は!?

血管が狭くなっていました( ̄▽ ̄;)!!

主治医曰く

3本ある冠動脈のうち、左冠動脈前下行枝の真ん中あたりが狭くなっている。
心筋梗塞にはなっていない。
血流の悪さは、他の血管が回りこんだようになっており、うまくカバーされている状況。
急になったような感じでもなく、ゆっくりと進行したものであろう。
しかし、これが今回心室細動(Vf)になった原因とは言い切れない。
ただ、他に原因となりそうな所見は見られないため、この状況を改善すれば、今よりも心機能は向上する。
改善の方法としては、カテーテルを使ってバルーンで広げたり、ステントという金属製のものを入れて血管を広げる方法がある。
しかし、これは数年で再度狭窄することもあり、年齢を考えるとあまり勧められない。
狭窄している部位も長いので、冠動脈バイパス手術が一番確実で長持ちする。
手術自体の体への負担は大きいが、この先の生活を考えると一番よい。

うーん、これは予想していなかった。
主治医も予想外だったらしい。

冠動脈バイパス手術といえば、結構な大手術。
なんだか大変なことになってきたぞ。

【参考】
狭心症 心筋梗塞

倒れた原因は!?

イカダの日に、心肺停止で運び込まれたが、その後は順調に回復中。
今のところ、後遺症らしきものはまったく感じられない。
しかし、イカダ当日と、前日に運び込んだ時の記憶は戻らない。

入院生活は、8月1日に、ICU(集中治療室)から一般病棟に移動して、8人部屋の大部屋入院生活を送っています。

体は、点滴の跡は残るものの、特別に手術をした訳ではないので到って元気。
1週間寝たきりだったので、多少足腰が弱っているかな、ということや、人工呼吸器の影響で声がかすれて出しにくいくらいでしょうか。

原因を調べるため色々な検査を。

  • 血液検査
  • レントゲン
  • 心エコー
  • CT(コンピュータ断層撮影 Computed Tomography)
  • トレッドミル負荷心電図検査→ベルトコンベアの上で、沢山コードをぶら下げて走りました(笑)

主治医曰く

まったく健康そのもの。
心筋梗塞ではない。
遺伝的な原因で心室細動(Vf)が起こる"ブルガダ症候群"でもない。
ただ、Vfは致命的な不整脈で、起こったら今回のように助かるとは限らない。
医学的には、一度Vfにより心肺停止状態となっているので、ICDという埋め込み型の除細動器の絶対適応となっている。
これは、AEDの機能をもったペースメーカーのようなもの。
万が一、また同様のVfが起こった場合には、電気ショックを与えて心臓を是異常な状況に戻す。
ただし、体に異物を埋め込むことになり、合併症の危険性もゼロではない。
日常生活でも、強い電磁波による誤動作もある。
よく考えてもらって、最終的には本人が決めること。

月曜日に心臓カテーテル検査をする。
血管の状況を見るのと、もう一度不整脈の誘発試験をしてみる。

ICD(Implantable Cardioverter Defibrilator)については、結果如何に関わらず入れたほうがよい、と言われていたのでずっと考えている。
一生付き合っていかなければならないと思うと、気が重いなぁ。

意識不明に・・・

今、こうしていられるのが不思議なくらい。

実は、僕がイカダレースの最中に突然倒れてしまいました。
一時は心配停止状態で生死の境をさまよった後に、無事に生還しました。
何が起こったのか、本人はまったく記憶がないのだが、皆さんから聞いたことを記録に残しておきます。
不明確なところもあるので、これは一時的なメモとして。



皆さんの話を元に再現したものです。

僕は、1区と2区に乗船。
その後は写真を撮りながら伴走車で移動。

悲劇は、レースも終盤、5区の最初の関門である、もぐり橋付近でおきました。

勘六橋の変則5差路の信号待ちで渋滞していた伴走車から、ひとり飛び出して、河川敷に降りていった。
数十メートル先を行くイカダに追いつこうと、河川敷を全力疾走。

■10:40頃
勘六橋の下を越えてしばらく走ったところで、突然倒れる。
このとき、心室細動という状況になり、心臓が痙攣をおこしてポンプ機能を果たさなくなっていた。
その直後、渋滞を抜けた伴走車からTKさんと今回初参加のN記者2人が河川敷に降りてくる。
当日は、花火大会の日でもあり、河川敷ではその準備も進められていた。
その準備に携わっていた商工会議所のスタッフが、倒れている僕に気がつき、お揃いのTシャツを着ていた仲間二人に、倒れていることを知らせる。
急いで、倒れている僕のところへ駆けつけたら、「きをつけ」の体制でうつぶせに倒れていた。
仰向けにさせ、顔についている芝生や土をタオルでふき取り、呼吸を確認したが、止まっていた。
2人とも、初めてのことだったが、心臓マッサージと人工呼吸で、心肺蘇生開始。
救急隊へも通報。
その時、偶然にも近くに自衛隊の人たちが。
第一発見者の商工会議所のスタッフが、自衛隊に助けを求める。
自衛隊の隊員2人が駆けつけ、飲み水をかけて体を冷やし、心肺蘇生を引き継ぐ。

■10:47
救急隊が到着
AEDなどの準備
なんと偶然にも、救命士は僕の友人のYさんでした。

■10:54
AED装着

■10:55
1回目の電気ショック
復帰せず。
瞳孔も開いていないため、再度チャレンジ。

■10:57
2回目の電気ショック
復活!! 徐細動成功!

■11:14
飯塚病院到着

病院に搬送された僕は、脳へのダメージを最小限にとどめるために、低体温療法を受けることに。
体温を32度から34度まで下げて、脳を保護するという。
この時、病院に駆けつけた妻と僕の上司が説明を受けたらしいが、心肺停止時間が長かったので、後遺症が残るかもしれない。
社会復帰できる可能性は1〜2%といわれた。
ICU(集中治療室)でしばらく治療が続く。

■7月26日
ほぼ冬眠状態。
睡眠薬にて意識なし。

■7月27日
徐々に通常の体温へ戻していく。
睡眠薬にて意識なし。

■7月28日
ほぼ正常な体温に戻る。
睡眠薬にて意識なし。
治療はほぼイメージどおりに進んでいる、との先生の言葉。

■7月29日
睡眠薬が切れて、徐々に意識が戻ってくる。
と、ここまでが意識がなかった頃のメモです。
この先は、ちゃんと自分自身覚えています。



【この先は僕の記憶です】

目が覚めたら、病院のベッドの上。
何があったのかまったくわからない。
妻から、事の顛末を聞くが、イカダに出たことすらまったく思い出せない。
今日は29日。一体今まで何をしていたのか。
体には、点滴や管が。鼻には酸素チューブが。
しゃべろうにも、声がかすれてしゃべりづらい。
いろんな事が一気に不安になったが、なんだか、なるようになれって感じになる。
この時は、まだボーとしていたので、現状を受け入れるので精一杯だったんだろう。
実家からは両親が駆けつけてきてくれている。
ありがたい。
その日の夜は、目を瞑ると得体の知れない模様のようなものが襲ってくる感じがして、薬をもらって眠った。

■7月30日
上半身を起こすことができるようになる。
胸が痛むが、手足は特に違和感もない。
点滴が邪魔だが、体全体に違和感はない。
お昼は、おかゆではあるが、ちゃんと口から食事が取れるようになる。
妻や交代した看護師さんから、昨日までの状態からは想像がつかないと、かなり驚かれた。
奇跡的な回復らしい。
救助にあたった救命士のYさんが面会に来てくれた。
回復振りに驚いたようで、涙の再会(^_^)

■7月31日
ゆっくりだが、立ち上がれるようになる。
食事も3食、ちゃんと食べれるようになる。
トイレもポータブルを使えるようになる。
何度か別途の横に立ったりして、徐々に歩く感覚を取り戻す。
色んな検査の結果も全て異常なし。

■8月1日
ほぼ通常の状態に回復。
手足にも違和感はなく、頭もイカダが思い出せない以外は問題ない!?
無事に、午後には、ICUから一般病棟へ移動。
病棟内では、車椅子に乗って自由に移動できる許可がでた。
点滴も、短時間ですむようになった。
まだ、心臓マッサージの後遺症で胸が痛む。
人工呼吸器の後遺症の、声のかすれも続いている。

育成会のN会長が、みんなで作った千羽鶴をもってお見舞いに来てくれた。
意識のないときにも何度も来てくれている。
皆さんに本当に心配をかけていたことを再認識。
ありがたい。
支えてくれた妻、そして家族に感謝。
そして、地元木屋瀬のみなさんに感謝です。

いよいよ完成

koya-iku2010-07-19

子ども達の思いが描かれたイカダが出来上がりました。

もちろん、今年はやりますよ( ̄▽ ̄)

願わくば、このスイッチは押したくないなぁ・・・

最後の仕上げは、オールの取り付け部分の補強です。
途中でオールが折れないように鉄板でマウント部分を補強します。

オールを前後から鉄板で挟みます。

固定するビスの頭が引っかかるので、鉄板の厚さにあわせて削り込みます。
まず、鉄板と同じ厚さのコンパネの切れ端にビスを打ち込む。

裏返して、飛び出た部分をグラインダーで削ります。

さあ、完成です!
ヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ バンザーイ♪


キャプテン会議

koya-iku2010-06-27

本日、飯塚アイタウンにて、イカダのキャプテン会議が開催されました。

キャプテン会議が開催され飯塚アイタウンは・・・
オットォ!(・oノ)ノ
また去年と同じことをやりそうになった。
イカイカン。

昨年のキャプテン会議の模様はこちら

さて、今回は僕とイカダ初参戦のKDさんで参加。

今年は、参加チームと各堰の図面が提示してありました。
わかりやすいなぁ。

■参加チーム
名簿には48チームありますが、実際にはキャンセルもあり45チームになる見込みだそうです。

■スタート地点
昨年までとは違う場所です。
芳雄橋と新飯塚橋の間の(下流に向かって)左岸です。

こんな場所です。
橋の向こうの右岸が、昨年までのスタート地点です。

■第1の堰:鯰田井堰
200号バイパスを越えて、最初の橋(名前は何だろう)の下流に「二本松バス停」があり、そこから降りていきます。
出口は、井堰の下流側の九電の飯塚電力所のところです。
河川敷は一方通行だそうです。

今日はこんな感じ。

■第2の堰:頴田床固め
ひたすら遠賀川の右岸を走ります。
途中、鯰田駅を右手に見ながら、筑豊本線の下を潜ります。
左に緩やかにカーブすると、まもなく頴田の井堰が見えてきます。
口原橋の手前です。
出口は口原橋を越えたところです。

■第3の堰:鴻ノ巣床固め
次の橋を左岸に渡ります。小竹駅のところです。
次の御徳橋を通過すると、次が鴻ノ巣橋です。
鴻ノ巣橋西の信号を越えると、まもなく河川敷に降りるところがあります。
ここは、狭い上に、河川敷の路盤状態もかなり悪かったように思います。
唯一の左岸からのサポートになります。

■第4の堰:直方井堰
左岸を走ると、平成筑豊鉄道の踏み切りを越えます。
次の新橋を右岸に渡ります。
右岸を走ると、すぐに直方井堰が見えます。
ここは、常設の駐車場があります。
ここの堰は、「魚道」があり、注意をしないとそこに吸い込まれそうになります。
ここが、選手交代のできる最後の場所です。

■もぐり橋
直方井堰を越えると、すぐに、2つのもぐり橋があります。
増水すると、水中に沈んでしまうので、このように呼ばれるのでしょうか。
この橋は、水位によっては潜るか、持ち上げて越えるか悩ましいところです。
今日は増水をしていたので、こんな感じです。


■ゴール:菜の花大橋
直方井堰を出て、次の勘六橋を右折して右岸に出ます。
そのまま河川敷を走り、日の出橋を越えると、次がゴールの菜の花大橋です。
菜の花大橋の下がゴールです。

しかし、ゴールは昨年とは異なります。
橋を越えて、200mくらい下流の護岸が階段状になっているところだそうです。
河川敷の状態が悪く、かなりぬかるんでいる状況だそうで、イカダを乗せる車のみが入れるようです。
状態によっては、イカダを人手で運ばなければいけないかも。

さて、本日のキャプテン会議のメモです。

  1. 選手の登録の変更は、前日までに棟方さんまで連絡をすれば対応する。
  2. 追加の場合は、登録料を現金にて支払うこと。
  3. 帽子は必ず着用のこと。
  4. スタートは、フライングをしないように。
  5. 九工大生が前期試験と重なり、当日のボランティアが足りない。ぜひ協力を。
  6. スタート時の、女性MC募集。いつもは棟方さんがやっていたが、運営と重なり大変である。
  7. 初出場のチームが多い。

その他

  • 堰を乗ったまま越えるのは危険なのでやめさせたらどうか。
  • 僕の知り合いが居た。
  • このブログを見ている人が居た。
  • 今回も、アイタウンの駐車場は無料だった。