意識不明に・・・

今、こうしていられるのが不思議なくらい。

実は、僕がイカダレースの最中に突然倒れてしまいました。
一時は心配停止状態で生死の境をさまよった後に、無事に生還しました。
何が起こったのか、本人はまったく記憶がないのだが、皆さんから聞いたことを記録に残しておきます。
不明確なところもあるので、これは一時的なメモとして。



皆さんの話を元に再現したものです。

僕は、1区と2区に乗船。
その後は写真を撮りながら伴走車で移動。

悲劇は、レースも終盤、5区の最初の関門である、もぐり橋付近でおきました。

勘六橋の変則5差路の信号待ちで渋滞していた伴走車から、ひとり飛び出して、河川敷に降りていった。
数十メートル先を行くイカダに追いつこうと、河川敷を全力疾走。

■10:40頃
勘六橋の下を越えてしばらく走ったところで、突然倒れる。
このとき、心室細動という状況になり、心臓が痙攣をおこしてポンプ機能を果たさなくなっていた。
その直後、渋滞を抜けた伴走車からTKさんと今回初参加のN記者2人が河川敷に降りてくる。
当日は、花火大会の日でもあり、河川敷ではその準備も進められていた。
その準備に携わっていた商工会議所のスタッフが、倒れている僕に気がつき、お揃いのTシャツを着ていた仲間二人に、倒れていることを知らせる。
急いで、倒れている僕のところへ駆けつけたら、「きをつけ」の体制でうつぶせに倒れていた。
仰向けにさせ、顔についている芝生や土をタオルでふき取り、呼吸を確認したが、止まっていた。
2人とも、初めてのことだったが、心臓マッサージと人工呼吸で、心肺蘇生開始。
救急隊へも通報。
その時、偶然にも近くに自衛隊の人たちが。
第一発見者の商工会議所のスタッフが、自衛隊に助けを求める。
自衛隊の隊員2人が駆けつけ、飲み水をかけて体を冷やし、心肺蘇生を引き継ぐ。

■10:47
救急隊が到着
AEDなどの準備
なんと偶然にも、救命士は僕の友人のYさんでした。

■10:54
AED装着

■10:55
1回目の電気ショック
復帰せず。
瞳孔も開いていないため、再度チャレンジ。

■10:57
2回目の電気ショック
復活!! 徐細動成功!

■11:14
飯塚病院到着

病院に搬送された僕は、脳へのダメージを最小限にとどめるために、低体温療法を受けることに。
体温を32度から34度まで下げて、脳を保護するという。
この時、病院に駆けつけた妻と僕の上司が説明を受けたらしいが、心肺停止時間が長かったので、後遺症が残るかもしれない。
社会復帰できる可能性は1〜2%といわれた。
ICU(集中治療室)でしばらく治療が続く。

■7月26日
ほぼ冬眠状態。
睡眠薬にて意識なし。

■7月27日
徐々に通常の体温へ戻していく。
睡眠薬にて意識なし。

■7月28日
ほぼ正常な体温に戻る。
睡眠薬にて意識なし。
治療はほぼイメージどおりに進んでいる、との先生の言葉。

■7月29日
睡眠薬が切れて、徐々に意識が戻ってくる。
と、ここまでが意識がなかった頃のメモです。
この先は、ちゃんと自分自身覚えています。



【この先は僕の記憶です】

目が覚めたら、病院のベッドの上。
何があったのかまったくわからない。
妻から、事の顛末を聞くが、イカダに出たことすらまったく思い出せない。
今日は29日。一体今まで何をしていたのか。
体には、点滴や管が。鼻には酸素チューブが。
しゃべろうにも、声がかすれてしゃべりづらい。
いろんな事が一気に不安になったが、なんだか、なるようになれって感じになる。
この時は、まだボーとしていたので、現状を受け入れるので精一杯だったんだろう。
実家からは両親が駆けつけてきてくれている。
ありがたい。
その日の夜は、目を瞑ると得体の知れない模様のようなものが襲ってくる感じがして、薬をもらって眠った。

■7月30日
上半身を起こすことができるようになる。
胸が痛むが、手足は特に違和感もない。
点滴が邪魔だが、体全体に違和感はない。
お昼は、おかゆではあるが、ちゃんと口から食事が取れるようになる。
妻や交代した看護師さんから、昨日までの状態からは想像がつかないと、かなり驚かれた。
奇跡的な回復らしい。
救助にあたった救命士のYさんが面会に来てくれた。
回復振りに驚いたようで、涙の再会(^_^)

■7月31日
ゆっくりだが、立ち上がれるようになる。
食事も3食、ちゃんと食べれるようになる。
トイレもポータブルを使えるようになる。
何度か別途の横に立ったりして、徐々に歩く感覚を取り戻す。
色んな検査の結果も全て異常なし。

■8月1日
ほぼ通常の状態に回復。
手足にも違和感はなく、頭もイカダが思い出せない以外は問題ない!?
無事に、午後には、ICUから一般病棟へ移動。
病棟内では、車椅子に乗って自由に移動できる許可がでた。
点滴も、短時間ですむようになった。
まだ、心臓マッサージの後遺症で胸が痛む。
人工呼吸器の後遺症の、声のかすれも続いている。

育成会のN会長が、みんなで作った千羽鶴をもってお見舞いに来てくれた。
意識のないときにも何度も来てくれている。
皆さんに本当に心配をかけていたことを再認識。
ありがたい。
支えてくれた妻、そして家族に感謝。
そして、地元木屋瀬のみなさんに感謝です。